それにしても最近、夜が暖かい。それは気温でなく目から感じとる暖色のことであるが。行き交う人はとてもカラフルだ。木枯らし吹く乾いた季節になると街は電飾で色鮮やかになる一方、人は隠れるような色に身を包み足早と建物へ消えていく。まるで派手な街から後ろ指を差されないように。
鮮やかな原色は気持ちを否応にも高揚させる。何かに急かされる気分でもある。それが消費を促すのであればマーケティングは大成功だろう。しかし世間がそれを勧めるのであれば、そこに一石を投じ、逆らいたくなるのがファッションだ。フラストレーションが溜まりつつある今がきっと変革の兆しなのだと思う。
つまり色だとオレンジや水色、形だとワイドやガウチョに飽きてきた人たちが抱えるストレスにこそ時代を作るエネルギーがあるのだ。洋服が社会潮流と無縁な物にならない限りそこにはメッセージがある。不満や怒りがある。1992年i-d japan 10月号〝ファッションフォトの地平〟そこで写真家の荒木経惟さんはこう述べる。
「若い人が街を面白がれないんじゃ面白い写真は撮れない」 モノとジョウホウが溢れ、その中から数多くの選択をするあまり疲弊し変わり映えしない日々となり、東京に消費されてはないだろうか。92年頃バブルが弾け、人々が不安とストレスを抱え背を丸め歩いていたと思うが、形は違えど今も同じような状況だと私は感じている。フラストレーションを爆発させることなく東京ナイズにされてしまっているのだ。
しかし、苛立ちを隠すことなくそれを原動力として今回縫製した所がある。”sulvam”だ。洋服から東京の力強さを感じさせてくれた。綺麗におさまったショーではなく、怒りが詰まっていた。己を飲み干したくなるような夜にこれを羽織れば少しはきっと気が収まるだろう。洋服からのパワーが強すぎるために。
バブルが弾けた時に不景気に負けるなという反発。カラフルでなく黒、ワイドでなくスキニーを履くという反発。そして時代に対して「こんなもんじゃない」という反発。
愛おしいほど嫌いだからこそ、この街は面白い。